白銀の弾丸

ポルシェ 356、ジェームズ・ディーン、ジェームズ・ボンド

Porsche 356

私の住む愛知県蒲郡市は県内でも有数の温泉の街で、市内に3つの温泉がある。(ちょっと古びてるけど…)

大型連休ともなると県外から大型の観光バスがやってきて、密集した集落の中の狭い道と明らかに不釣り合いな光景を生み出している。

わたしの自宅はその温泉街に程なく近い場所にあるのだけど、面白いことに「スパ西浦モーターパーク」というけっこう本格的なサーキットも近くにあって、週末に町内をクルマで走っていると面白いクルマとすれ違うことが多い。

ロータスが隊列を組んで走っているのはしょっちゅう見るし、ハコスカの一団やロードスター、派手なペイントを決めたレーシング仕様のKカーを載せたトランポなどなど、けっこうこれが見ていて楽しい。

「若者のクルマ離れが…」なんてコトバは耳タコだけど、どっこいクルマでエンジョイしてる若者だってそれなりにいるのだ。

でも、そんなトンがったクルマたちとは違う趣きのクルマに遭遇することもある。たぶん観光に来られたお客さんだろう。

今年の少し暖かくなってきた春先のころだったと思う。市外に抜ける峠道を走っていると、前から白銀のクルマが走ってくるのに気付いた。

春先の007 ジェームズ・ボンド?

「ポルシェ 356」だ!

低く構えた姿勢、愛嬌のある顔立ち。1948年に生産が開始され、初めて「Porsche」の名が冠された記念すべきスポーツモデルだ。

しかも屋根のない「スピードスター」!(この「スピードスター」って言うネーミングは、本当にイカした名前だとつくづく思う)

そのシルバーのスピードスターが、コーナーを抜けて、緩やかなダウンヒルを颯爽と走ってきたのだ。

「うわ〜、かっこいいなあ」… 思わず運転そっちのけで凝視する。そう、まさに凝視だ。(よい子は真似しないように…)

「356」は見る見る近づいてくる… 軽快ながらも、現代となってはボリュームのあるパタパタという乾いた排気音がカントリーロードに響く…

人は必ずその後に「いったいどんな人が乗っているんだろう?」というのが気になる。しかし、それはわたしの期待を裏切らなかった。

身分相応とは…

その「356」を操っていたのは、初老と思しきご夫婦だったのだけれど、そのいでたちがまた伊達なのだ。

左ハンドルのステアリングを握るご主人は黒革のジャケットと、同じく黒革のグローブを身にまとい、ハンチングなんぞをアタマに被っている。

助手席のご婦人は薄いピンクのスプリングコートに、髪をアップにしてスカーフ巻き、濃い茶系のサングラスを掛けられていた。

それはまるで、ジェームズ・ディーンか(彼が所有していたのは「550スパイダー」)、ジェームズ・ボンドの映画のワンシーンのような光景だった。一瞬だった。その間、およそ7〜8秒くらい。

あとはバックミラーに映る、丸みを帯びたキュートなお尻がみるみる小さくなってゆく…。

「いつか、あんな風にクルマを乗りこなせたらな〜」… いろんなことが頭を巡った…

クルマが乗り手に求めること

ナンバープレートにまで気が回らなかったので、どこから来られていたのかは分からずじまいだったが、もし遠方からならば、そこそこのグランドツーリングだったに違いない。

「旅の疲れを温泉にでもゆっくり浸かって、美味いものを食べて癒そうか」という計画だったのかもしれない。

きっと「さて、明日はどの服を着ていこうか?」、「どのルートで行こうか?」などと地図を広げてあれこれ考えていたに違いない。

(今のクルマには、みんなナビが備わっているから、「旅の前にルートを吟味する」という楽しみすら人々は忘れてしまった。
人間は一度「ラク」を覚えてしまうと、「楽しみ」すら苦痛と感じてしまうほどの怠け者なのだ。どちらも「楽」と書くのは皮肉だが…)

でもその計画を練って、それを実行されていることが粋なのだ。

ただでさえ目立つ車で、しかもカブリオレとなれば誰だって周りから見られることを意識するはずだ。

でもあのご夫婦は、見事に、そしてとても自然にその役をこなしていた。

こういったクルマに乗る時は無意識にクルマから問いかけられているのだと思う。

「俺の名を汚すような乗り方をするなよ」と。

たしかにコンビニに停めて、ジャージにサンダル姿でこのクルマから人が出てきたら、「あれ?」って感じになるかもしれない。

乗る方も、無意識にそれなりに恥ずかしくない格好で、未分不相応に見られないように気を使っている。

果たして、いまそんなことを気にさせてくれるクルマがどれくらいあるだろうか?

乗り手がクルマに期待すること

クルマというのは、「トランスポーター/移動の手段」という主たる役割と、乗る人のキャラクター(メッセージ)を周囲の人々(マーケット)に表現してくれる媒体(メディア)という、そのクルマを所有すること自体が目的になる側面も持っている。

ある意味、自分自身をマーケティングしているのだ。

「コトバ」を使った仕事をしている私ではあるけれど、「コトバ」以上に強烈なメッセージを発するものもたくさんある。

でも最近のクルマは「無個性」だ、などとよく言われる。

これは「トランスポーター/移動の手段」という面をフォーカスした場合、つまり道具としてクルマを見た場合に、その機能を追求してきた結果としてスペック上はどのクルマもほぼほぼ満足出来るレベルに達しているからだ。

でも、そこに着目しても「どんぐりの背比べ」としか人々は感じない。

クルマはあなたのメッセージを市場に届けるメディア

それであれば、「クルマを所有すること自体が目的」となる「媒体(メデイア)」としてのクルマの側面をアピールすることがますます重要になる。

「あなたという個性を表現するには、このクルマがピッタリです!」と、「あなたはこのクルマに乗ることで、こんな評判が得られるんです!」と。

おそらく「自分らしさ」に関しては誰でも興味があるはずだ。だって自分のことだから。

企業がテレビや雑誌やインターネットに広告を出して「らしさ」をアピールするのと同じように、お客さん一人一人が持っている「らしさ」の広告をクルマに託してもらうのだ。

セグメント化の判断が生命線?

クルマ作りもマーケティングも「何でもオールマイティーにこなせます」から、よりセグメント化した商品開発や営業に迫られるだろう。

「いや〜、セグメント化と言ってもコストの縛りが…」というメーカーの都合に、もう消費者はついてこない。

それよりも例えば極端な話、「あなたが音楽を愛する方なら、ズバリこのクルマしかありません!これはあなたのような感性豊かな人のためだけに作られたクルマです!」と言ってあげた方が響く人にはインパクトがあるだろう。

すぐには出来ないことかもしれないけど、お客さんのキャラクター、つまり趣味や好みや信念などについて詳しく知れば知るほど、そのお客さんに提案すべきモデルと、セールストークが見えてくるはずだ。

あなたはファッションコーディネーターのように、お客さんのキャラクターをよく理解してベストなメディアを提案してあげよう。

「ポルシェ356」とすれ違いざまに見た数秒間の光景は、あらためてクルマへの憧れと、まだまだクルマは人を幸せにできる大いなる可能性を秘めていると感じさせてくれた。

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