英国生粋のスポーツカーブランド「TVR」

「TVR」は、1947年に「トレバー・ウィルキンソン」によって設立されたイギリスのスポーツカー

専門ブランド。

創業者の名前、トレバー「TreVoR」の文字から命名されている。

前編でもお話ししたバックヤードビルダーとして、最初は趣味でクルマの製作をスタートする。

TVRが大きく飛躍するのは、TVRのことが大好きなお客さんの1人だった「ピーター・ウィラー」が

マネージメントを開始してからだ。

1981年のことだ。

最盛期の90年代半ばには年間2000台に迫る生産量に達し、純英国製最大のスポーツカーブランドと

呼ばれるまでに成長する。

Mr. TVR:ピーター・ウィラー

ウィラーは2mもあるような足の長い細身の大男で、彼が運転できるようにクルマが設計されていた

ものだから、ペダル位置が深く、日本人にはシートのポジションを合わせるために、ちょっとした

コツを必要とした。

とても物腰の落ち着いた口調で話をする方で、おそらく日本人が想像する「ジェントルマン」を

そのままイメージしてもらえればいい。

(と言って50過ぎになって20歳くらい離れた秘書の娘と結婚するところなんざ、やはりアングロ

サクソンの血を引く血気盛んなジェントリーだ。)

彼の時代に発表されたモデルは、いずれもジャガーやアストンマーチンに代表される英国の伝統的な

スタイルをベースに、強力なエンジンとライトウェイトボディーを組み合わせ、「ガツン!」とくる

ような痛快なドライブフィールを身上としていた。

私は、幸運にもウィラーが手腕を振るっていた、TVRが最も勢いのある時代に工場を見学する機会に

めぐまれたのだ。

昔、教科書で見た事があるイギリスの産業革命時代を思い起こすようなレンガ造りの長屋風建物に

シンボルカラーのやパープルが混じった濃紺のTVRロゴがかけられている。

異国の地で自分の取り扱うブランドの工場見学をするというワクワク感と緊張感が増してくる。

緊張の原因は、実はチェアマンのピーター・ウィラーにも会う約束を取り付けていたのだ。

若造の私にはちょっとビビってしまうほどにウィラーの存在は大きかった。

いざ!TVRファクトリーへ!

「えっ!?これが入り口なの?」と拍子抜けするくらい間口の狭い、白く塗られた木の扉を開けると

部屋の奥にTVR初の自社製V8エンジン「AJP 8」が誇らしげに飾られた応接室になっていた。

カウンターの向こうには、ここは英国なのになぜかフランス風なパッツン前髪の若い女性がせわしく

パソコンのキーボードを叩いている。

工場見学のアポを取っていたことを伝えると、急に溢れんばかりの笑顔で掛けて待つように言われた。

しばらくして広報係の若い男性が出てきた。

よくFAXで仕事のやりとりをしている「ベン」だ。

初めて会うのに、見慣れぬ場所でコミュニケーションが取れている人と会うと妙にホッとする。

彼は両手を握りしめて歓迎してくれた。

しばらく色々と話をしていると、背の高い大柄の男がノッシノッシと歩いてくる姿が見えた。

ウィラーだ!

応接室にいた他のスタッフがサッと立ち上がって軽くウィラーへ会釈をする。

この辺りは、日本の文化と相通じるものを感じたが、余計に私の緊張を増幅させた。

私は日本で買ってきた、「いかにも日本!」って感じのお土産数点を急いで妻からもらうと

挨拶もそこそこにそのお土産をウィラーに差し出した。

特に扇子が気に入った様子で、その場で開いてパタパタやっていた。

スレンダーだが体が大きいので、扇子が子供サイズのように妙に小さく見えた。

緊張していたので、何を話していたのか今となっては断片的にしか思い出せないが、その時は、

ルマンの耐久レースに向けて着々と準備を進めている、ということを話してくれたと思う。

レースを愛する人が作ったクルマ

TVRは1989年から「タスカン・チャレンジ・カップ」と呼ばれるイギリス国内のサーキットを

ツアーでまわるワンメークレースをやっていて、ウィラーも社長みずからそのレースにエントリー

して楽しんでいた。

ワンメークレースと言っても0-100km/hが3秒台というモンスターマシンで、あの元F1パイロット

「ナイジェル・マンセル」もエントリーするほど人気があったシリーズだ。

とにかくウィラーはレースが大好きな社長さんだったから、あんなにレーシーなモデルが生まれた

のだろう。

「スポーツカーの心臓はエンジンだ。フェラーリにフェラーリ以外のエンジンが載っていたら変な

感じがするだろ?」とエンジンにも並々ならぬ思い入れがあった人だった。

だから自社エンジンを完成させることは、彼の悲願であったし、そのエンジンの優位性をルマンで

世界に証明したいと思っていたのだと思う。

ウィラーは、残念ながら2009年に病気で他界された。

65歳だった。

「日本の市場に期待している」と別れ際に握手をした時のその手の大きさと、ちょっとヒンヤリ

した感触が今でも記憶に残っている。

ファクトリー・ツアー

ウィラーと別れたあと、工場ツアーの案内役をしてくれたジェンマに連れられて応接室からの扉を

開けると、いきなり作業を行う工場内に出た。

シャシフレームを溶接して組み上げるセクション、グラスファイバーのボディーを成形する

セクション、インテリアの革やカーペットを裁断、縫製するセクション、電装系の配線などする

セクション、エンジンを組み立てるセクション、塗装を吹き付けるブース、ボディー、シャシを

組み付けるセクションなどなどが独立しながらも有機的に繋がっている。

もちろんレースカーをメンテナンスする専門のセクションも設けられていた。

TVRはオートメーションとは懸け離れた、正真正銘のハンドクラフトによるクルマ作りをする

メーカーだったので、あの個性的な独特のスタイルが出来ていたのだと思う。

これぞマニュファクチュア(工場制手工業)だ!

今、思えばイギリスの産業革命前の工場制手工業(マニュファクチャ)の精神が生きていた最後の

ブランドだったように思う。

洗練されたロボットが無言で仕事をこなして行く、整然とした現代的な感じは一切ない。

すべての工程に人間が介在していた。

作業ブースの壁に、普通にヌード写真なんかが貼られていて、なんとなくみんな楽しそうに

仕事をしていた。

「これは何?」と尋ねると、手を休めてみんな気さくに説明してくれた。

合理化とは何だろうと考えさせられる工場だった。

社員をコストと捉えるか、パフォーマンスや価値を高めてくれる資産と捉えるかは、経営者の

判断ではあるが、もちろん社員の価値を高めるためには、たゆまぬ投資と努力が必要なことは

言うまでもない。

でも、そこに関わる人たちがほんのわずかなプラスの感情を持って仕事に取り組むと、その力が

束になって全体では予想を超えるパフォーマンスを発揮する。

あなたを含め、社員、経営陣、サプライヤー、お客さん、その他そのビジネスに関わる全ての

人々が、「その商品を勧めたい」と思った時に、そのブランドは繁栄するのだ。

クルマがデザインされた過程やそのスタイルになった理由、そして生産工程やそこで働く人々を

観察すると、そのクルマのことがよく理解できるようになる。

クルマのスペックの裏に隠されている何かルーツのようなものが見えてくるのだ。

そのクルマに携わった人たちの心のヒダに触れることができるような気がする。

あなたの扱うクルマの工場見学を是非してみて欲しい。

あなたが少しでもそのメーカーのことが好きになれば、つまりそれは営業の戦闘力が大幅に

増強されたことを意味するのだ。

 

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