クルマは人と社会を結ぶ商品

数ヶ月ほど前の話だが、私の友人の一人が事故にあった。

「事故」と聞いてみなさんは何の事故を連想するだろうか?

やはり筆頭は「交通事故」だと思う。

「事故った」といえば、たいていはクルマの絡んだ事故を指す。

それくらいクルマは生活の中に溶け込んでいる商品であると同時に、危険と隣り合わせの商品でもある。

また、あなたがお金を払って買ったものの中で、もっとも社会性を帯びている商品でもある。

社会性とはつまり、あなたの行動が他人に対して責任を負っているということだ。

そういう意味では最近はスマホが普及して、SNSが発達し、ツイッターやフェイスブックという

サービスが公共性を帯びているとは言える。

あなたの発言が公共に対してある程度、責任を負っているからだ。

こういうブログもその中の一つだろう。

しかし人口全体から見れば、まだその普及率はクルマの比ではない。

ま、「表現の自由」という観点からすると、現状の法律でどこまで責任が及ぶのかを判断することは

難しい。

(ただし、表現しただけでは違法行為にならないが、相手が侮辱や名誉毀損と感じて告訴してきた
場合には逮捕されたり、損害賠償を支払う場合もある)

法整備も必要になる日が来るかもしれない。

すでに多くの事件や事故が起きている事を考慮すれば、学校教育の授業に組み込むなどして、

何かしらのモラル対策は急務だろう。

いや、むしろ大人の教育を先にどうすべきか、考えなくてなならない。

生活の中で1番法律を意識する瞬間とは?

話が脱線したが、現段階でツイートなどは、自分さえ気を付けていれば社会的に迷惑をかける事はない。

でもクルマの場合は、一歩公道に出た途端に社会的な責任をおう。

また、法律を遵守しなければならないという義務が発生する。

普段の生活の中で「ルール」とか「規則」「法律」を最も意識するのがクルマを運転する時だろう。

しかしながら、こちらがどんなに気をつけていても相手の不注意で事故に巻き込まれるケースもある。

いわゆる「もらい事故」というやつだ。

先日の友人の事故も、もらい事故と言えばもらい事故に近い。

しかし道路交通法という法のもとでは、その友人に過失があるという事になってしまった。

事故の顛末というのはこうだ。

友人が夜中にUターンをしようとしたものの曲がりきれず、切り返しをしていたところにクルマが

突っ込んで来た、という。

場所は見通しの良い直線道路。

一応、友人は信号2つ分くらい先に走ってきているクルマがあることは認識していた。

そのクルマが到達するまでに、時間的にも全然余裕があると判断してUターン。

しかし結局曲がりきれず、ちょっとバックして切り返そうとしたところへ、あっという間に追突

されたのだ。

しかも事故現場の検証からノンブレーキの状態だったことが分かった。

おそらく居眠り運転だったのだろう。

警察や保険屋の質問に終始「何も覚えていない」と答えているそうだ。

もしかしたら酒気帯びだった可能性もある。

最新の自動ブレーキシステムが装備されたクルマであれば回避できた事故だったかもしれない。

しかし、そんなことは後の祭りである。

Uターン禁止の場所ではなかったが、結局は「進路妨害」として片付けられてしまった…

クルマを買い換えようか、それとも車検を通そうか迷いに迷った挙句、車検を選んで、その車検が

終わってクルマを引き渡された次の日の事故。

クルマは全損。

なんとも気の毒な話だ。

友人は警察、相手の保険屋さん、友人の保険屋さん、修理工場、事故の相手、事故現場で世話に

なった人、などなど、いろんな人に電話を入れて対応に悪戦苦闘していた。

後日、「電話代がハンパない」と言って嘆いていたくらいだ。

ウソは悲劇のはじまり

でも不思議に思った事は、そのクルマを買ったクルマ屋さんの営業マンに連絡する素ぶりもなかった

ことだ。

私は疲れ気味の友人に「なんでクルマ買った営業マンには電話しないの?」と聞いたら

「もう辞めちゃっていないし、いたとしても信用できないから」と答えが返ってきた。

友人のクルマは中古で買ったものだが、走行距離も伸びておらず、状態も申し分ない割に価格が

安かったので決めたそうだ。

しかし、その営業マンからは「同じ市内の女性が使っていたワンオーナー車です。」と説明を受けて

いたのに整備記録簿には「神戸」の人の住所と名前が記載されていたそうだ。

納車後にそれに気づいて文句を言いにお店に出向いたが、担当営業マンは不在ということで結局会えず、

しかもその上司と言われる人からも曖昧な対応をされて、結局うやむやになってしまったそうである。

下手をすればこれは詐欺行為とみなされる危険性もあるだろう。

細かいお客さんだったら大騒ぎになっていたかもしれない。

営業マンであれば、数字をなんとか作らなければという意識から、誇張した表現を使うことも

あるだろう。

その気持ちは痛いほどわかる。

でも、嘘は絶対にいけない。

それがバレた時のリスクを考えてみて欲しい。

以前、三菱自動車のリコール隠しが社会問題にまで発展し、まさに株価が紙くず同然になるほどに

下落した。

当時、私の勤めるお店が岡崎にあったので三菱自動車の岡崎工場で働くお客さんもみえた。

「もう、ダメかもしれない」お客さんの悲痛な表情が忘れられない。

一度失われた信頼を回復させることは、0からスタートする時よりもしんどいかもしれない。

何とか三菱は一命を取り留めた。

地元の人間としても、三菱自動車には頑張ってもらいたい。

「ランサー」「RVR」「パジェロ」など人々の心を射止めた名車もたくさんある。

その名をもう一度はためかせて欲しいと願っている。

正直に勝る施策なし

私もクルマの業界で色んな体験をさせてもらったが、最終的に言えることは、

お客さんに対して、「正直であれ!」ということだ。

人は誰でも失敗する。

真剣にやっていてもミスは起こる。

人間だからだ。

でも万一、失敗したとしても誠心誠意対応すれば、「怪我の功名」となって、さらに信頼関係が深くなる

こともある。

お客さんだって「わざと」失敗したのではないことくらいは分かってくれるはずだ。

不可抗力ということもある。

でも、「嘘」はあなたの意識下で行われる。

それは「わざと」行われるのだ。

だからお客さんは不快に思うのだ。

「あ、この人保身に走ったな」とすぐに見抜かれる。

お客のことより、自分のことを優先したな、と思われた瞬間に信頼は薄れてしまうのだ。

いずれにしても、このショップはお客さんからの信頼を完全に失ってしまっている例の一つだ。

もし、一生懸命に対応していたら、その営業マン、あるいはそのお店から次の1台が売れていたはずだ。

人は、困っている時に助けてもらうと、心の底から感謝されることが多い。

その人の恩に報いたい、恩を返したい、と考える。

マーケティングでいう「返報性の法則」というやつだ。

いやらしい言い方をするのであれば「恩を売る」ということだ。

あの電話の面倒を、もし営業マンが肩代わりしてあげてたら、どれだけお客さんから感謝されたことか。

「お体の具合はその後どうですか? 手続き関係は全て終わりましたので、あとはもうご心配

いりませんよ」と声をかけてあげるだけで、お客さんはとても安心されたことだろう。

あなたのことを恩人と思うだろう。

既存客の資産価値を高める行動を!

昨今、1台のクルマの平均所有期間は8〜9年程度と言われている。

いや、もっと今は伸びているかもしれない。

たいていのクルマ屋にとって、お客さんは一過性のものになっていることが多い。

だって次に買ってくれるのが8年も9年も先の話だからだ。

既存客をお世話することは「コスト」としか捉えていない。

せいぜい「車検」の防衛率を落とさないために、一応ハガキだけは送っているというところも

多いだろう。

しかし、少子高齢化が加速度的に進行し、人口構造が明らかに変わってきている現状を無視して、

昔の成功体験のやり方を続けても、思ったような成果はもう上がらない。

営業マンの評価制度も単にクルマの売り上げだけではなく、どれだけ既存客の満足度を向上できるか

という点にも着目しないといけないだろう。

既存客は「コスト」ではなく「資産」と捉える意識を持とう。

そして、その資産価値を高めるために投資する努力を怠らないことだ。

お客さんを美味しい草がたくさん生えてくる牧場に放ち、そしてしっかりとした柵で囲っておくことだ。

今、あなたのショップをヒイキにしてくれているお客さんが、どこかヨソに行ってしまわないように

全力で守るのだ。

その信頼性の高さが、購入インターバルを縮めたり、併有車開拓につながったり、知人・友人への

紹介につながるきっかけになるのだ。

もちろん新規開拓は常に必要だが、もっともコストがかかる。

それであれば、もっともっと既存客に着目してほしい。

土地の価値を吊り上げるのは大変だが、顧客の価値を高めることはあなたの努力次第だ。

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