ギターが繋いだアメリカ横断の旅

私が通った「サザンイリノイユニバーシティ」という学校はその名の通りイリノイ州の南、ミズーリ州の

「セントルイス」からフリーウェイで約2時間、イリノイ州最大の都市「シカゴ」からは約6時間南下

したところにある。

「カーボンデール」と呼ばれるその街は、その昔、「カーボン(石炭)」が良く「出ーる」ということ

で名付けられたそうだ。

この大学は当時日本に分校(1988 – 2007)を持っていた。

新潟県の現在の胎内市中条町にその分校があったのだが、私はその分校の1期生として入学した。

最初確か700人近くの学生が入学してきたが、結果的にアメリカの本校へ編入して卒業した

同期の学生は100数十人を数える程度だったように思う。

分厚い教科書は当然だが全て英語で書かれているので、常に勉強をしていないとまともな点がテストで

とれないのだ。

本当に北海道から沖縄まで全国各地から人が集まってきていて、学校の中はいろんな方言が飛び交って

いた。

でも、いろんなキャラのいいヤツがたくさんいて、ある意味一番面白かった時期かもしれない。

そんな中条町で知り合った一人の友人がいた。

彼とはアパートの部屋が隣同士のご近所さんで、2人ともギター音楽(主にハードロック/ヘビメタ)

が大好きだったからすぐに意気投合した。

彼の愛車「ファミリア」には、ファミリーらしからぬヘビメタの曲がいつも爆音で流れていて、

よく奇声を発しながらシャウトしていた。

そんな彼が突然「俺はギターのクラフトマンになる!」とか言いはじめたのにはビックリしたが、

本当に一足早く、単身アメリカへ行ってしまったのだ。

私がアメリカ横断の旅に出るきっかけになったのは、その彼がアリゾナ州のフェニックスに住んで

いて、ギタークラフトの学校を間も無く卒業するという頃だった。

彼とはお互いがアメリカへ渡った後も、時たま電話で連絡をとっていた。

そのギターの学校を卒業して日本へ帰るから、今乗っているクルマを譲ろうか?という話になった。

クルマはイスズの「ピアッツァ」、通称マヨネーズだ。

私は2つ返事でフェニックス行きを決めた。

狂気/The Dark Side Of The America

アメリカには「グレイハウンド」と呼ばれる長距離バスがある。

ほとんど長距離バスの代名詞のようなこのバスはアメリカ最大の路線網を持っていて、国内を移動

するともなれば、クルマかこのグレイハウンドでといった感じだった。

アメリカでは、日本のように鉄道で都市間を移動するという発想は、まずない。

それくらいクルマが生活の中で重要な役割を果たしているのだ。

私は大学の冬休みの期間を利用してフェニックスの友人へ会いに行く計画をたて、まずはグレイ

ハウンドのフェニックス行きのチケットを買った。

ただ、「グレイハウンドってちょっと怖いよ、いろんな人がいるから…」という友人のコトバが

少し引っかかってはいた。

最近はアメリカの銃乱射事件がニュースでよく話題になっているが、20年ほど前のアメリカも

やはり身の危険を感じる瞬間というのは何度もあった。

これは当時日本でもニュースになったのだが、大学の敷地内にあるアジア系の学生が多く住む

Pyramidという学生寮が火災になり、日本人留学生を含む5人が犠牲になったことがあった。

1992年12月6日未明におきた事件だ。

事件というのは、どうもこの火災は放火の疑いがあって、20年以上経った今も未解決事件になって

いるようなのだ。

この寮の近くのアパートに住んでいて、夜中じゅうゲームの三国志をやっていた友人がいたのだが、

火災の後に不審な人物を見なかったかと警察が訪ねてきたと言っていた。

私はといえば、なんとあくる日に母親が心配して日本から電話をしてきて、その火災の事実を知った。

ま、母親も親戚から聞いて知ったらしいので、情報入手のうとさは血筋といったところか…

とにかく同じ町内のニュースを地球の裏側から知るとは…世界は狭くなったと感じたものだ。

大学が発行している「Daily Egyptian」という日刊新聞に火災の状況が掲載されていたが、

その日本人留学生のものと思われる焼け焦げた部屋の写真が写っていた。

おそらく日本の親御さんから送られたものであろう「みかん」と書かれた段ボール箱が部屋の中に

転がっていて、本当にいたたまれない気持ちになったことを思い出す。

なんとその秋学期のあと数日で卒業を迎えるという事実を後日知って、さらに深い悲しみをさそった。

さぞ、ご家族も本人も無念だったと思う。

※アメリカの大学は春学期(Spring Semester)1〜5月、夏学期(Summer Session)6〜8月、
秋学期(Fall Semester)8〜12月というカレンダーになっている。

後日、奨学金制度が設けられ現在も引き継がれているので、留学を志す方のために是非紹介させて

いただきたい。

Kimiko Ajioka Memorial Scholarship

私よりも2つ年上のお姉さんで、ご存命であれば今年48歳になるはずだった。

「光陰矢の如し」… 時の経つのは本当に早いものだ。

でも、この悲しみは風化させてはいけない…

また、犠牲になった別の1人に、いつも私が住む学生寮の食堂でメインディッシュの盛り付けを

してくれていたアジアの男性がいた。

いつも笑みを浮かべて、テキパキと働く真面目なナイスガイだった。

身近に起きた、まったく罪のない命が突然にして奪われた事件。

友人伝いに、出入り口につながる階段に火がつけられて逃げ道をふさぐ計画的な犯行だったという

話を聞かされた。

2日後の12月8日が折しも「真珠湾攻撃」のあった太平洋戦争の開戦記念日だったので、KKK

(クー・クラックス・クラン/白人至上主義を唱える秘密結社)の仕業ではとか、いろんな

噂が流れていた。

いずれにしてもアメリカにいけば、日本人はただのアジアの人であって、アメリカ人から見れば

中国も韓国も日本もみんなほぼほぼ一緒のくくりのマイノリティーに過ぎないのだ。

私に限って言えば直接的に人種差別扱いされることは無かったが、それと感じるようなことは

何度もあった。

これらは日本に居ただけでは絶対に感じないし、表面的なインターネットの画面からも伝わらない。

「差別」と「偏見」という人間の心の深層部に淀むこの感情は、長い年月を経て沈殿し積み重ね

られていく。

だから容易に取り除くことはできないのだ。

そんな身の危険を少し感じながら、グレイハウンドに乗り込んで、一路「フェニックス」を目指した。

グレイハウンドバスで出会った美しい瞳のお釈迦さま

人生初のアドベンチャー、約2500km、40時間のバスの旅だ。

仙台から沖縄の那覇までをバスで走ると思ってくれればいい。

料金は数ヶ月前から予約しておけば、今の為替レートでだいたい片道¥13,000くらい。

アメリカは「人種のルツボ」とよく言われるが、バスの中はまさにそんなアメリカの縮図を表して

いた。

白人、黒人、黄色人などなど多種多様だ。(特に黒人の人が多かった)

バスは何度が休憩を挟みながら「スプリングフィールド」、「ジョブリン」、「タルサ」、

「オクラホマシティー」と、まさにこのブログのタイトルにある「66号線」を西へ向かってひた走る。

(実際はインターステイト44号線/オクラホマシティからは40号線)

途中、何度かバスを乗り換える場面があった。

次のバスを待つベンチに腰掛けていた時に、隣に座っていた大学生と思しき女性が、「このバスは

◯◯に停まるの?」と私に聞いてきた。

同じアジアでもトルコとかインドのような、とてもエキゾチックな雰囲気をもった瞳の綺麗な

女性だった。

私は、パンフレットとチケットを取り出して、たぶん大丈夫だろうと答えた。

彼女と私は少しだけ仲良しになった。

聞けば、テキサス州の大学に向かっている途中で、アメリカに来て2年ほどたつらしい。

故郷はインドだという。

家が貧しいので奨学金制度を使って、医療の勉強をしていると言っていた。

卒業したらインドに戻って医者になることが目標らしい。

自分を支援してくれている家族や、地元の町の人たちの役に立ちたいと話してくれた。

なんて立派な動機なんだろう。

私は彼女と話をしていて、自分のことが情けなくなった。

彼女ほどの明確な将来へのビジョンを、私はまだ持ち合わせていなかった。

私が下を向いている時に思い出す光景…

どこの街で彼女がバスを降りていったのか、今となってはどうしても思い出せないのだが、強烈に

脳裏に焼き付いて忘れられないことが1つある。

彼女は自分の荷物を、黒いポリ袋に入れて肩に担いで運んでいた…

一般的にはゴミを入れる袋にだ…

かわいいバッグの1つも持ちたい年ごろの女の子なのにだ…

わたしは、今でも何か迷いがあったり、くじけそうになったりすると彼女のことを思い出すことが

ある。

人生の中で彼女と一緒にいれた時間は、ほんのわずかだけだったのにもかかわらず、彼女から受けた

衝撃は大きかった。

その偽りのない本物の純真さと情熱をもった心は私の胸を深く打った。

自分の利己的な欲を超えたところにある、人の役に立ちたいという高い志は、今の日本人が遠い

過去に置き忘れてきてしまった価値観のような気がした。

この旅に出て大きく心を揺さぶられた体験の1つだ。

きっと今頃、経済発展目覚ましいインドで、お医者さんとて第1戦で活躍しているに違いない。

地元のみんなから愛されるドクターになっていることと信じている。

(私の国道66号線、その3へつづく)

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