深夜の再会…

バスに揺られること1日半かけて、私はようやくアリゾナ州フェニックスに到着した。

辺りはすっかり夜の帳(とばり)が下りて、すでに夜中の0時を過ぎていた。

南国らしく、街のいたるところにヤシの木が生えている。

暖かいというわけでもないが、イリノイとは違い、底冷えするような寒さは感じられなかった。

しばらくして友人が私に譲ってくれる予定のいすず「ピアッツァ」に乗ってさっそうと

出迎えてくれた。

熱い抱擁はまるっきり無いが、久しぶりの深夜の再会だった。

いつも髪型をやたらと気にしている、ちょっとナルちゃんの入った友人が、いくぶんたくましく

なったように見えた。

相変わらずクルマの中には以前と同じヘビメタが流れている。

なぜだか妙にヘビーなギターと金切り声のシャウトが疲れた体に心地よかった…

そうそうこの感じ… 異国の地で味わうおふくろの味のような安堵感がクルマの中に漂った…

「いすゞ」が残した名車たち…

いすずというブランドは、日本の自動車メーカーとして最も古い歴史を持っていて設立は1916年
(大正5年)

(石川島造船所自動車部門として設立。石川島造船所は現在のIHI)

残念ながら2002年には乗用車部門の製造、販売から完全撤退してしまったが、印象に残る名車を

世に出している。

オールドファンには「ベレット」、とくにGTバージョンの通称「ベレG」が有名だ。

レースでいすゞのワークスレーサーとしてご活躍された浅岡重輝さんとは、何度かTVRの試乗会など

でお目にかかったことがある。

特に英国車の造詣が深くて、お会いするとつい仕事そっちのけでイギリス車の質問ばかりしていた。

同じオープンカーでも「コンバーチブル」と「ロードスター」の意味の違いを歴史を踏まえて説明の

できる数少ない生き字引のような人だ。

以前、東京モーターショウのブログでも登場したローバー傘下でデビューを果たしたMGのオープン

スポーツ「MGF」のクラブの会長さんを務めていらっしゃったと思う。

とにかくダンディーなお方だ。

そして、「ピアッツァ」の前身モデルとも言える「117クーペ」だ。

イタルデザインの創設者「ジョルジェット・ジウジアーロ」が若き日にデザインしたこのクルマは

日本一美しいクーペとも評された。

特にフロントからリアフェンダーにかけてのトランクフードをも巻き込んだ色っぽいラインは本当に

官能的であり芸術的だ。(初代はすべてハンドメイドだった!)

幼い頃にこの「117クーぺ」が停めてある家があって、サイドガラス越しにインパネを見るのが

好きだった。

当時200km/h以上がスピードメーターに刻まれたクルマが見れるのはコイツかセリカ2000GT

(通称:だるま)以外に近くには無かったからだ。

今時そんなものを見て感動する人間は一人もいないが、当時は「スピード」というクルマの絶対

性能が少年の心を熱くしたのだ。

あとは「ジェミニ」だ。

普通の乗用車だが「街の遊撃手」なる小粋なキャッチコピーを引っさげて、2台以上のジェミニが

アクロバティックな片輪走行やジャンプやターンを街の中で決めまくるテレビCMを覚えている方も

多いだろう。

今考えれば、CGを使わずによくあんなことができたなと思うが、キビキビ走るスポーティーセダン

というイメージだった。

実際にバイクにも乗るボーイッシュな女子のクラスメートがネイビーブルーの「ジェミニ」に乗って

いて、雰囲気がマッチしていてカッコよかった。

クルマというのは、それに乗る人の性格やスタイルをも反映しているから面白い。

イタルデザイン、ジウジアーロの傑作「ピアッツァ」

そして今回、私がその手綱を握ろうとしている「ピアッツァ」。

これも名匠「ジウジアーロ」の手によるデザインだ。

眠そうな目つきのようで、しかしキリッと獲物を狙うがごとく低く構えた顔つき、そしてボディー

全体に漂う細身でしなやかな印象はサバンナを駆けるチーターのようにも見える。

特にお気に入りは斜め後方から見た時のスタイルで、柔らかな丸みを帯びたテールからフロントに

向かってスッと絞り込んで行く姿が、どのクルマよりもスレンダーで知性を感じさせる。

とにかく気品があるのだ。

インテリアは特に運転席周りが凝っていて、各種操作系のスイッチをステアリングの左右に配置して

まるで飛行機のコクピットのような雰囲気に仕立ててあった。

色はガンメタ。

嫌味にならない程度のスパルタンな印象を放っている。

ディテールは、明日明るくなってからの楽しみにとっておいて、その日は友人の住むアパートに

転がり込むと、シャワーを浴びて、昔話もそこそこに床についた。

表情が一変した「フェニックス」の街

次の日は少しダラダラと遅めに起きて、ブランチを食べにフェニックスの街へ出ることにした。

アパートをでて階段を降りていると、裏庭の木にセミのような影が飛んでいるのが見えたので

何だろうと目を凝らすと、なんと「ハチドリ」が花から花へ蜜を求めて飛んでいた。

初めて見る光景だったので興奮して友人を呼ぶと、アリゾナでは日本のスズメのような感覚で

人と共存しているのだという。

ちなみに、本当に蜂のようにブンブンブンという音を立てて飛ぶので英語では「ハミングバード」

と呼ばれている。

フェニックスの街へ出ると昨日の夜の印象とは表情がまったく違っていた。

山肌がムキ出しになった土色をした山々の背景に、道に沿って並ぶヤシの木の緑色が伸びて行く。

そしてダウンタウンに立ち並ぶ高層ビル群。

砂漠の中にそびえる摩天楼だ。

山肌にはポツンポツンとサボテンが植わっているのが見える。

8月、9月の最高気温が月平均!で40度を超え、年間の平均降水日数が40日以下。
(日本の平均降水日数が約120日)

よくこんな土地を開拓して人が住めるようにしたものだと思った。

でも福岡市とほぼ同じくらいの人口約145万人の人々が暮らしている。

私たちは早々に食事を終えて、明日からの旅の準備に入った。

友人が日本に帰る前にいっちょ遠出するかという話になっていたのだ。

走行距離6500kmってどれくらい?

一応、ざっくりとしたルートは、まずは一旦北東に向かって「未知との遭遇」、

「インディージョーンズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などの撮影で使われた、

「モニュメントバレー」、そして西へ向かって「グランドキャニオン」。

大晦日のカウントダウンを「ラスベガス」で迎えたら、南下しながら西海岸へ出て、

「サンディエゴ」、そこから海岸沿いに北上して「ロスアンジェルス」、「ヨセミテ国立公園」、

「サンフランシスコ」、「ポートランド」、最後に「シアトル」まで行って帰って来るという

計画だ。

総延長約6500kmの旅。

東京を出て鹿児島へ向かい、鹿児島についたら北海道の稚内へ行き、そこからまた引き返して

東京を通り過ぎ、九州の福岡まで行く距離と言えば想像がつくだろうか?

今、この歳になって振り返れば無謀としか思えない計画だが、若い時というのは何の迷いもなく

勢いさえあれば行動できるのだ。

クルマを譲り受ける直前に走行距離のメーターが、いきなり6500km(約4000マイル)も増えるのも

なんだが、心配はいらない。

なんせ中古車屋さんに行くと、フロントガラスに平気で「On Sale ! Only 60,000 mile !!」とか

ポップが出ているからだ。

60,000マイルといえば、ほぼ100,000kmだ。

日本なら「ぼちぼちクルマも新調しないとなぁ」という時期だが「たったの10万キロ!」と

声高々に宣言されると、「なるほど、お得だね」なんて思ってくるから不思議だ。

マーケティングメッセージといのは、器の大きさをよく考える必要があるが、器の大きさを変える

という視点を持つことも面白いアイデアを生むきっかけにもなる。

私たちは夜明けとともに、まずは「モニュメントバレー」へ向けて走り始めた。

出発… いざ、モニュメントバレーへ…

モニュメントバレーは、西部劇以外にもいろんなアメリカ映画の舞台となっているので、知らない人は

いないと思うが、本当に周りには何もない荒野の中に忽然と姿を表す。

インターステート17号線を北上し、冥王星の発見で有名なローウェル天文台がある人口5万人ほど

の街「フラッグスタッフ」から国道89号線をさらに北上する。

そのあと、北東方向に向かって国道160号線、163号線と分岐していくのだが、もうひたすら

何もない…

日本のように海があり、山があり、町が次から次へと変わってゆくという景色の変化はほぼない。

目に入ってくるものと言えば、だだっ広い土がむき出しの乾いた原野となんとなく霞んだ空、

たまにすれ違うクルマ、そしてひたすら丘の向こう側へと続いていく道だけだ。

だから空に浮かんだ雲が、しばらく一緒に旅のお供をしてくれていることに気づく。

時には1時間以上も同じ雲を見ている時もある。

雲の形の変化をじっと見て楽しめるほど、他の景色に変化がない。

走っているんだけど景色がそのままという、ルームランナーをアウトドアでやってる感じか…

ゆるやかな時間が流れている。

大自然の中にいると、今の日本の分単位の時間に支配された生活が、何だかバカバカしく思えてもくる。

人間が便利を求めて勝手に作ったシステムの中で、勝手に悩んでいるのだから滑稽だ。

前にも言ったが、期待が無くなれば悩みもなくなる。

この景色の中に悩みなどない…

今やネットやスマホの普及でコミュニケーション過剰の時代と言われているが、でもさすがに

この時でも、あまりにも人の気配が無さすぎると人恋しくなる。

何か人工的な人の気配を感じさせる構造物を見つけると、ちょっと嬉しくなるのだ。

とは言え、友人とは昔話や、お互いの今の話、音楽の話、女の話、下ネタ話、くだらない話などなど

退屈することはなかったが…

やがて丘を越えて視界が開けたところに、ポツン、ポツンとそれらしい、ディズニーのビッグ

サンダーマウンテンのような赤茶色の光景が見え始めた。

それは記念碑(モニュメント)というより、地上に浮上した潜水艦のアタマのような形もあれば、

中世のお城のようなものもあるし、小学生の時に江戸川乱歩の推理小説で読んだ怪盗ルパンのアジト

「奇岩城」のようなイメージにも重なった。

そんな景色を楽しみ始めたのもつかの間、いやな予感のするあるものに気づきはじめた…

そのあるものとは…

(私の国道66号線、その4へつづく)

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