一人旅だから芽生える感情とは…

さあ、イリノイまでは一人のクルマ旅だ。

グレイハウンドで来た道を、今度は運転して引き返す。

しかしバスに揺られて来た時に感じたイメージと、実際に自分がハンドルを握って運転したイメージ

とでは、見える景色が随分と違って感じた。

やはり運転をするということは、能動的な行為であって、自らの力で物事を推し進めているという

感覚が、それを成し遂げようとする責任感を芽生えさせる。

それをやり遂げた時の達成感は、それがなんであれ人の自信となり、人の成長へとつながっていく。

バスの時は、完全に受動的な人任せの「依存」の旅だったから、単にその場所に「着いた」であって

「たどり着いた」という達成感は希薄だった。

せいぜい「あ〜、お尻が痛かったなぁ〜」と我慢に耐えた達成感くらいのもんである。

だから目的の場所へ「たどり着こう」と自分で運転していると、刻々と変わる道路や天気やクルマの

変化に敏感になってくる。

つまり、達成の妨げになりそうなリスクを回避したいがために、そのちょっとした変化に危険を察知

するのだ。

「あ、これってもしかしてヤバいんじゃ無い?」ってな感じで…

(ま、アメリカの荒野では、その変化がすご〜くゆっくりなのだが…)

66号線沿いのカフェに見る古き良きアメリカ

私はインターステート40号線を東へ向かってひた走った。

40号線は、ところどころ旧国道66号線と交わったり、並行して走ったりしている。

日本の高速道路のサービスエリアのようなものはほとんど無いので、休憩をとりたければ適当な

ランプで降りてカフェやレストランを探すのだ。

その時に66号線を走ることがあるのだが、対面車線で路面も荒れているので走っているクルマは

ほとんどいない。

映画「カーズ」の中で主人公のマックイーンがラジエタースプリングの街で囚われの身になっていた

ところから「自由だーーー!」とガソリンを抜かれているとも知らずに突っ走って行く時の、あの

道路の雰囲気だ。

道路の脇には「〇〇CAFE」とか木の板にペイントされた手書きの看板が、田舎のアメリカらしさを

醸し出している。

営業してるのかしら?と思いながらお店に入ると、本当に「スタン・ハンセン」(古い?)のような

ハット、ベスト、ブーツを着たカウボーイがいたりする。

日本の人はカフェやレストランで他のお客さんと目を合わせるようなことはあまりないが、彼らは

結構「誰だコイツ?」みたいな感じでジーっと凝視してくるので、ちょっと怖かったりもする。

私がハンバーガーをほおばっていると、隣のテーブルで食事をしていた老夫婦が「どこから来た?」

と声をかけてきた。

「ジャパンだ」と答えると「アメリカの飯はまずいだろ?」と笑いながら返してきた。

「そんなことはない、グレイビーソースのかかったマッシュドポテトは最高に旨い」と答えた。

親父さんがコーヒーを飲みながら、親指を立てたGOODのサインを出した。

中指でなくて良かった…とちょっとホッとする。

少しの時間の出会いだったが、なんだか心が温まる気がした。

知ってます? 富士山を拝める1番遠い場所…

それにしても、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスあたりの道は「冗談でしょ」と思えるくらいに

何もない。

道を走っていてちょっと小高い丘を越えた時に、遠くに煙のようなものがかすかに見えたことが

あった。

本当に何もないので、そんな何か人を感じさせる動きのある景色を見つけると嬉しくなるのだ。

人と待ち合わせしていて、少し離れたところにその人を見つけて、ちょっと小走りになるような

感覚が湧く。

そんな小走りするようにスピードを速めてみたところで、すぐにあきらめてしまう。

とにかく近いようでトンデモなく遠いことにすぐに気づくからだ。

富士山をもっとも遠いところで拝めるのは和歌山県の那智勝浦町にある色川富士見峠というところ

らしいが、富士山から直線距離で322.9kmある。

きっとそんな感覚に近いのだろう。

この煙の主である何かの工場のような建物に到達するまでに、結局約3時間くらいかかってしまった。

運転時、日本では気にならないがアメリカでは気になる命に関わることとは?

こんな調子のドライブだから心配になるのが給油だ。

「次にGASステーションまで100マイル」なんて警告の看板が出ていたりする。

100マイル、つまり160km走らないと次のガソリンスタンドが無いのだ。

燃料計の針の動きを見ながら、早め早めの給油を心がける。

行き交うクルマもほとんどなく、街灯は全くない、こんなところで夜中にガス欠したら死ぬんじゃ

ないか… そんな恐怖をマジメに感じた。

この日は結構寒くて、ニューメキシコ最大の都市、アルバカーキを過ぎるあたりで雪がちらつき

始めたから、余計に慎重になっていた。

幸いテキサス州に入る頃には雪も止んで青空が見えるようになった。

夕暮れが近づいていた。

人生で最も感動した「赤色」

いつのまにか雲も無くなっていた。

太陽が西の地平線沈みかけると、空一面が真っ赤に染まった。

私は現在46歳になるが、いまだにこれほどまでに美しい夕焼けを見たことが無い。

天空が憂いを帯びた赤色で埋め尽くされ、東の地平線へ向かって群青色、藍色へとグラデーションが

深くなっていく。

私は、つくづくこの時の光景を写真に映さなくて良かったと思った。

この美しさはおよそ写真で再現できるものではない。

もしこの瞬間を写真に留め、後から振り返ったら、この感動は半減していたに違いない。

この時の赤色は、私の心のポジフィルムに記録されているからこそ永遠に輝きを失わない赤でい続け

られるのだ。

しばらくして辺りは、空の藍色もすっかり抜けて、灯りがまったく無い闇の世界へと変わった。

私の愛車となった「ピアッツァ」の眠たげなデザインのヘッドライトが照らし出す灰色の路面と、

車線を区切る白い破線が同じ間隔で現れては消え、現れては消えをひたすら繰り返している。

アメリカらしく「クルーズ・コントロール」が装備されていたので、色々と試してみたが、結局

使い方が分からなかった。(後で分かったのだが、この時点ですでに壊れていたみたいだった…)

郷に従わないのが輸入車を楽しむ礼儀だ!?

アメリカ車の試乗インプレッションなんかを読んだり聞いたりすると、やれ乗り心地がフワフワする、

とかコーナリング性能が甘いだとか書かれていたりするが、この66号線のような道を走ればその

理由がよく分かる。

コンクリートのようなザラザラな表面とデコボコとした、お世辞にも整備が行き届いたとは言えない

道路が呆れるほど続く環境のもとでカチっとした足回りなんかが必要だとはこれっぽちも思わな

かった。

ましてやコーナリングの性能の優秀さを発揮できるようなカーブもほぼ皆無。

そもそも人々がそんなことを車に求めていないのだ。

別の言い方をすれば、そのような土壌や地形がないので、そのようなヨーロッパ的な車の機能や

性能の評価のしかたがアメリカの人々の生活の中ではさほど重要では無い。

いかに楽チンに目的の場所へ着けることの方が大切なのだ。

ルーズな感じのドライブフィーリングで、楽しく友人と話しながら移動ができれば、それでOKな

のだ。

むしろ日本でアメ車を楽しみたいのであれば、そんな大陸の道を想像して味わうことに意義がある

のだと思う。

何もかも日本の交通事情や道路環境で使用することを前提として評価するのではなく、異国の地で

運転している人々の暮らしぶりや文化を想像した方が楽しいではないか?

一人ぽっちの暗闇で最後のロウソクの灯が消えそうになった時に思うこと…

とはいえ、このひたすら真っ直ぐに進んで行く大陸の道にいささか退屈を持て余していた。

でもそんな眠気まなこの私の意識を覚醒させるあるコトに気付いた。

そしてそれは、次第に、いや、すぐに恐怖に怯える意識へと変わっていったのだ。

なんとなくヘッドライトの照らすあかりが暗いのである。

「あれ〜?ライトってこんな明るさだったかなぁ?」

最初はこんなもんだろうと自分に言い聞かせていたが、何か腑に落ちない。

試しにロービームにしてみた。

やっぱりおかしい。

車の直前を照らすライトの道路に当たっている面積が明らかに狭くてぼんやりしている。

「やばい、やばい、やばいぞこれは!」

昨今、若者たちが使う”すごい”とか、”感動した”時の「やばい」ではない。

本当に危険が迫っている時の「ヤバイ」だ!

私の心臓は、車線の白い破線が次々と流れていくタイミングよりも早く脈を刻み始めた。

バッテリーか? いや、オルタネーターが発電してるからエンジンが動いている限りは問題ない

はず…

それじゃあオルタネーターが壊れた? 何? ヒューズとか? え? 何なに?

私はパニクりながらとりあえず高速からの出口を探した。

どこで高速を下りたのかは、今さっぱり思い出せないが、とにかく街灯があって、その下にクルマが

停めれる場所を探した。

クルマを停めると、ボンネットを開け、エンジンルームを覗き込む。

ピアッツァは、ボンネットがフロントヒンジになっているので、フロントガラス側からガバッと開く。

だからエンジンの正面方向から光が当たらないので、よく見えなくて余計に時間がかかった。

走っている最中には気づかなかったが、エンジンがアイドリング状態になって初めて「キーキー」と

音が出ていることが分かった。

どうもファンベルトが鳴いているようだ。

オルタネーターが怪しいと予測はしていたので、ベルトとの関連性は当然考えられる。

私はオルタネーター周りを重点的に見るようにした。

暗いので見ずらかったが、明らかにオルタネーターが他の補機類と比較してブルブル震えている

感じがする。

エンジンが回ったままなので、ベルトが勢いよく回っている。

ちょっと手を入れるのが怖い。

でも、エンジンを止めてしまったら、もう二度と掛からなくなるのではないか…?

そんな不安からエンジンを切ることが出来ない。

よーく見てみるとオルタネーターでベルトの張り具合(テンション)を調整するためにオルタ

ネーターを固定させるボルトが緩んでいることが分かった。

そのためにオルタネーターの位置がずれて、ベルトのテンションが失われ、ベルトがオルタネーター

のプーリーで滑ってキーキー音を発すると同時に、正常な発電を妨げていたのだ。

さあ、それではオルタネーターを正常な位置へ戻してベルトのテンションを張り、固定しなければ

ならない。

私はクルマのトランクを開けて工具袋を探した。

一応、モンキーレンチとホイールレンチが入っているのを見つけた。

「地獄で仏」とはこのことだな… そんなことを思いながら直ぐに作業に入った。

ホイールレンチをバールのように使ってオルタネーターのボディーをグイっと押し付け、ベルトの

テンションを張りながらモンキーレンチで少しずつボルトを締め込んだ。

薄暗い中を、回転するベルトに当たらないように気をつけなければいけなかったので、ものすごく

時間がかかった。

エンジンも熱いからなおさだ。

でも、少しくらい火傷や怪我をするくらいならしょうがない…

人間、死を意識すると多少の痛みは我慢できるものなんだなと思った。

火事場の馬鹿力といったほうが正解なのか…

ま、そんなことはともかく、なんとか最悪の状況からは脱出できた。

カリフォルニアに向かう途中のオーバーヒートといい、とにかく手のかかる子である。

それと同時に日本の「車検」は素晴らしい制度だとも思った。

いまやクルマなんて壊れなくて当たり前、という風潮になっているが、日本車だって整備をせずに

放っておけば必ず壊れるのだ。

人間様の定期検診と同じように、クルマも定期的な点検と「手当て」が大切だ。

相談できる人も無く、携帯もスマホも何も無く、灯りを取るのがやっとという状況の中で、私は

眠ることも忘れて、一目散にイリノイへ向けて再び走り始めた。

「生きろ!」「はい、そうします…」

いまとなっては、睡眠欲や食欲や性欲よりも何よりも、早く「生きてお家に帰りたい」欲が

強かった。

どんな綺麗なお姉さんが裸で手招きしてても、無視して通り過ぎれる自信があった。

「○○まで200マイル」なんて看板に出くわすと「あと少しだ」なんて感じた。

200マイルといっても、約320kmだから東京ー名古屋くらいの距離はある。

人は大きな器の環境の中にいると、必ず感覚の器も大きくなる。

私は、脇目も振らずにとにかく走って走って走りまくった。

オクラホマシティから旧国道66号線に沿ってミズーリのセントルイスへ向かうインターステート

44号線と、テネシーのナッシュビル方向へ向かう40号線があるが、私はそのまま40号線の

南ルートを突き進んだ。

アリゾナ州からスタートしたピアッツァとの一人旅は、ニューメキシコ、テキサス、オクラホマ、

アーカンソー、テネシーと6つの州にまたがった。

さすがに腹が空いた私は、テネシーのメンフィスで下りて市内に入り、ピザハットで定番の

「シュプリーム」を平らげた。

腹が減っているときは何でもうまい!

フェニックスを出発してから、すでに35時間以上が過ぎている。

あとはこのメンフィスからミシシッピ川沿いにミズーリを北上すれば、イリノイの我が家だ。

残す距離、あと約350km。

エネルギーを補充した私は、最後の州境へ向けて家路を急ぐこともできたが、さすがに二十歳

過ぎと言えども疲れ果てていたので、メンフィスのモーテルで宿をとった。

語ってください… あなただけのクルマとの物語を…

この10日間の旅で、合計13州、総移動距離 約7,100マイル(約11,300km)をクルマ(バスを含む)

で動いたわけだ。

つまり1日平均1100kmの移動ということは、毎日東京ー福岡間を走っていたことになる。

車中泊を何度もしながら、友人と交代交代運転したからこそ成し得たクルマ旅だ。

いろんなトラブルにも遭遇したが、クルマという文明の利器の恩恵を存分に享受した。

クルマがなかったらこんな旅は不可能だった。

もう、こんな経験は2度と出来ないだろうと思う。

この後も我が「ピアッツァ」くんは、卒業までの約2年間にいろんなところへ私を連れて行って

くれた。

シカゴやナッシュビル、ニューオーリンズ、アトランタ。

気の合う仲間と出かけるクルマ旅は、本当に楽しい。

みんな、もっともっとクルマに乗っていろんなところへ出かけてみて欲しい。

そしてクルマだからこそ体験できた色んな思い出を語って欲しい。

クルマはただ移動するだけの機能を果たすだけの商品では無い。

生涯忘れ得ぬ思い出が、そのクルマと一緒に生き続けることもある。

あなたの大切な人との心に残るワンシーンもある。

あなたがステアリングを握った時が、あなたがその物語のキャスティングボードを握った時なのだ。

さあ、みんなクルマ旅に出かけようじゃないか!

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