44マグナムが撃ち抜いたもの…

私が初めてカッコイイと思ったハリウッドスターは「クリント・イーストウッド」。

のちにシリーズ化された映画「ダーティーハリー」は私にとって永遠の輝きを放ち続ける。

エルボーパッチ付きのツイードジャケットを着た長身のイーストウッドが44マグナムを派手に

ぶっ放す。

権力に対して反抗的で、一匹狼で、多くを語らないハードボイルドな生き様の何とカッコイイ

ことか。

私は子供ながらに、スクリーンの中で躍動するこのダンディーな男の強力なハンドガンで見事に

ハートを撃ち抜かれたのだった。

この「ダーティーハリー」の舞台がサンフランシスコだ。

他にも、実話を元に作られた映画「アルカトラズからの脱出」では、あの有名なアメリカの

ギャング「アル・カポネ」が収容されていたサンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ島の

刑務所からの脱獄劇が描かれている。

脱出不能と言われた難攻不落の刑務所から囚人役「フランク・モリス」に扮したイースト

ウッドが脱獄計画を着々と実行に移して行くのだが、サスペンス調のスリリングな演出が

ハラハラドキドキさせられる快作だ。

ここでも無口で、必要の無いこと以外は喋らず、それでいて程よく鍛えられた肉体と知性を

感じさせる頭脳明晰なスマートさがとにかく男臭くてカッコイイのだ。

イーストウッドが活躍するサンフランシスコの街並みは、遠く離れた日本からでも映画を

通して馴染みがあった。

だからこそ「生」で体験したかったのだ。

ちょっと無機質で排他的な感じのする摩天楼が夕日で照らされて輝いている。

郊外に画面が変わると街を走るケーブルカーが、丘の向こうからおもむろに現れては、また

坂の向こうに消えてゆく。

その姿とその背景にある街並みに何か異国への強い憧れを抱いたものだ。

坂の街が教えてくれたこと…

サンフランシスコと言えば「ゴールデンゲートブリッジ/金門橋」が一番有名だろう。

まずはここをクルマで走ってみたかった。

実際に走ってみると意外とすぐに渡り終えてしまうので、ドライブには少々物足りない感じも

したが、橋のたもとから見る姿はとても風情があっていい。

サンフランシスコ出身のロックバンド「ジャーニー」の大ファンだった私にとっては、彼らの

故郷の街を歌った初期の名曲「Lights」が頭の中で流れていた。

♫ When the lights go down in the city, and the sun shines on the bay 〜

ジャーニーのアルバムは全てレコードを集めてよく聴いていた。

「マイケル・ジャクソン」や「レイ・チャールズ」等の大物ミュージシャンが参加したアフリカ

飢餓救済のチャリティーソング「We are the World」では、その並みいる大物アーティストに

混じって、ジャーニーのヴォーカリスト「スティーブ・ペリー」もリードを歌い、彼の伸びや

かなハイトーンヴォイスがとても印象的に記憶に残っている。

「ニール・ショーン」のギターも一生懸命コピーした。

だから私にとって、サンフランシスコは特別な街なのだ。

サンフランシスコの街中は、とにかく坂道の連続で、フラットな場所を見つけることの方が

難しい。

坂道に立って、その道を挟んで建ち並ぶ家々を見ると、まるで階段のそれぞれの段の上に家が

建てられたように見える。

そんな坂道を象徴する「ロンバート・ストリート」とよばれる道がある。

ここは日光のミニチュア版「いろは坂」のような場所で、お花畑の中をクネクネと道が連なっ

ている。

下から見上げると、クルマがお花畑の中を左に行ったり、右に行ったりしながら下りてくる

ので、なんだかその動きがひょうきんで面白い。

しかも植木や花にクルマの下側半分が隠れて、クルマの窓とルーフだけが左に右に何台も

つながりながらモゾモゾ動いているように見えるので、なんだかサングラスを掛けたモグラの

家族が一列になって行儀よく坂を下りてくるかのようだ。

「ダーティーハリー2」では、このつづら折りの坂道でカーチェイスが展開されていた。

場所によっては、坂道を登りきった先が交差点になっていて、信号待ちの状態では赤信号の

ランプだけが見えて交差点の中が全く見えない「ブラインド交差点」に出くわす。

坂道発進する場面があまりにも多いので、はっきり言ってマニュアル車で観光することは

お勧めできない街だ。

クラッチ操作に慣れてないと、車が後ずさりして信号待ちの後ろの車にぶつけるかもしれない。

ピアッツァはマニュアル車だったから、けっこう自分の後ろにピタっとクルマを止められて

焦った場面が何回もあった。

運転に自信の無い人は、むしろ街中を走る印象的なケーブルカーに乗って散策した方が楽しめる

だろう。

もちろん腕(脚?)試しでマニュアル車をチョイスするのもいい経験になるかもしれない。

きっとマニュアル車の運転テクニックが相当向上すること請け合いだ。

しかしながら坂のある街はいい。

街に住むみんなが、移動の大変さを分かっているからお互いに気を使って生きている。

だから、なんとなくいたわり合いや、譲り合いのある優しさが生まれている気がする。

坂の上から街を見下ろせば、海へ向かって家々の屋根や壁や窓がつながっていく…

そんな景色を見ながら、街と人とのつながりを考えていた…

アメリカ留学中にそれほど多くの場所を訪れたわけではなかったが、サンフランシスコは最も

印象に残った街だ。

港の市場、「フィッシャーマンズ・ワーフ」で生まれて初めて食べたロブスターのことは良くも

悪くも忘れない…

スタバの発祥の地

私たちは(特に私は)後ろ髪を引かれる思いでサンフランシスコを後にし、さらに北上を

続けた。

そして旅はアメリカ西海岸の最北端、「シアトル」にまで飛ぶ。

イチローの在籍で一躍日本でも馴染み深い街となったシアトル・マリナーズを有するシアトル

は、カナダとの国境近くにある美しい街だ。

スターバックス、アマゾン、マイクロソフトなどの世界に冠たる企業がこの地から生まれ、

ジミ・ヘンドリックスやニルヴァーナ等、世界を席巻したアーティストもこのシアトル出身だ。

UFOに三脚をつけたような「スペースニードル」と呼ばれるタワーが街のランドマークになって

いる。

しかしシアトルは何と言ってもシーフードがとにかくフレッシュで旨い。

「パブリックマーケット」という市場には、新鮮な海の幸がたくさん並んでいて、多くの観光客

で賑わっていた。

威勢のいい声がお店のあちらこちらから響いてくる。

活気があって、こちらも元気になる。

ここでは、生牡蠣を美味しく食させていただいた。

シアトルもサンフランシスコほどではないにせよ坂と緑のある街で、訪れたのが1月だったから

そうでもなかったが夏にはきっと素晴らしい緑に覆われるのだろうと想像できた。

どうせここまで来たのならカナダのバンクーバーまで足をのばすか?ということも考えたが、

さすがに疲れも溜まってきてたので、それは断念してもと来た道を帰ることにした。

2人で交代しながらアリゾナのフェニックスまでは、ガソリンのチャージ以外はノンストップ。

我らのピアッツァ君は、今回はノントラブルで頑張ってくれた。

フェニックスでは最後に友人が卒業をむかえたギタークラフトの学校を見学させてもらい、

彼が制作したというギターを見せてもらった。

きっと今も彼の家に大事に飾ってあるに違いない。

(ちなみにその友人は、現在はギターとは全く関係の無い仕事をしている。)

そして、いよいよフェニックスを立つ日がやってきた。

友人も1月中には部屋を引き払って日本へ帰るという。

私は彼からピアッツァのキーを受け取ると「今度は日本で会おう」と握手を交わした。

そして街がまだ眠りから覚めぬ夜明け前に車を走らせた。

(私の国道66号線、最終回へつづく)

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